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更新日:2018年2月25日
水戸藩第9代藩主 |
水戸藩第9代藩主・徳川斉昭は、天保12年(1841)年に、文武修練の場である「弘道館」と、その翌年に、修練の余暇に心身を休めるための「偕楽園」を造りました。
その趣旨は、中国の古典「
そんな対をなす2つの施設の見どころをご紹介します。
弘道館・偕楽園好文亭セット入場券 販売価格:350円(大人のみ) |
開館時間:9時~17時 入館料:大人200円、小・中学生100円、70歳以上無料 |
藩校当時の面積(10.5ヘクタール) | |
弘道館公園の面積(3.2ヘクタール) | |
現在ある施設 | |
重要文化財 | |
藩校当時からある建物・石碑 | |
藩校当時にあり復元などされた建物 | |
藩校当時にあり現在はない建物 |
正庁玄関
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正門 藩主が来館する際にのみ開門され、学生や諸役人などは通用門から出入りしました。(通常は閉門。3月3日(土曜日)、4日(日曜日)、10日(土曜日)、11日(日曜日)は特別に開門。) |
釘隠し 釘を隠すための装飾金具をよく見ると、ハートの模様が。これは |
正庁・諸役会議所 玄関正面にある来館者控えの間。床の間の「尊攘」の掛け軸は、水戸藩医・ |
正庁正席の間 |
至善堂 斉昭の七男で徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜は、大政奉還後、ここで謹慎生活を送りました。 |
徳川斉昭は、藩政改革の中で、優秀な人材を育成することの重要性を唱え、藩校「弘道館」を創設。文武両道を目指し、学問では儒学や礼儀、歴史、天文、数学などが、武芸では剣術や槍、柔術、兵学、鉄砲などが教えられていました。 |
「弘道とは何ぞ人 弘道館記碑の冒頭の言葉で、「人の生きる道は、自然にあるものではなく、人が努力して広げていくもの」という意味。この石碑は、敷地内の八卦堂(写真右)に納められています。(通常非公開) |
弘道館事務局
水戸市三の丸1-6-29☎029(231)4725
[偕楽園]開園時間:6時~19時/入園無料 [好文亭]開館時間:9時~17時 |
偕楽園記碑斉昭自らの筆による造園の趣旨が刻まれ、 碑の裏側には、入園時間や多量の飲酒や大騒ぎを 禁止するといった利用の心得が記されています。 |
日本三名園の一つである「偕楽園」は、景色や梅を愛で、音楽や詩歌を楽しむため、水戸藩内随一の景勝地に造られました。その大きな特徴は、一般の人にも無料で開放されたということ。その種子は、偕楽園記碑の最後の一節の「衆と楽しみを同じくする」という言葉から読み取ることができます。
表門から竹林を通り抜け、好文亭を目指すと、斉昭が意図した偕楽園本来の楽しみ方(陰と陽の世界)を味わうことができます。
園内には約100品種3千本の梅の木が植えられています。花の美しさだけではなく、梅干しなど食用にもできることから、梅を愛した斉昭。
弘道館公園内の「
吐玉泉 かつで好文亭の茶室「 |
孟宗竹林 表門を入って左手一面に広がる竹林。幽玄の世界を感じることができます。
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表門 松材が多く使用され |
好文亭・梅の間 奥御殿の各部屋には花木の名前が名付けられ、部屋名にちなんだ襖絵を楽しむことができます。 |
好文亭・配膳用昇降機 3階に食事を上げるためのつるべ式エレベーター。斉昭が考案したもので、日本初の手動式エレベーターと言われています。 |
勉励と休養のバランスを心掛けることの大切さを説いた徳川斉昭。この「一張一弛」の精神は、現代においても、充実した人生を送るためのヒントとなるのではないでしょうか。
芳しい梅の香りを楽しみながら、弘道館と偕楽園をゆっくりと巡り、水戸の歴史を五感で感じてみませんか。
いばらき女性特派員小堀妙子
虫食いや湿気によるカビを防ぐため、弘道館で保管している古書を外の空気にさらす「虫干し」作業中、開いたページに、乾燥した小さなご飯粒が張り付いているのを職員が発見。
これを見た弘道館主任研究員小圷のり子さんは、「水戸の先人たち」(水戸市教育委員会発行)の中に、「(弘道館の学生が)読めないところがあると、支障の教本にこっそり『めしつぶ』を貼ってしまう。こんないたずらもした」との記載があったことを思い出しました。
「教科書のまとめ部分で読むのが難しいから、誰かがいたずらしたのかもしれない」と推測する小圷さん。こんないたずらのエピソードを知ると、当時の学生に親近感が沸きますね。
県偕楽園公園センター
水戸市常磐町1-3-3☎029(244)5454
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